California trippin'⑥-2
光があるところには闇がある。
それは華やかな世界でも裏方として支える力があるから成り立っている。
光と闇は表裏一体。
なぜこんなことを書き綴っているかと言うと、このようなのどかで、すがすがしいSan joseですら物乞いをする人や浮浪者がいるのだ。
昔、先輩にサンタモニカへ連れてってもらった時も素晴らしい景色を目に焼き付けたが、全体を見渡すと、華やかな景色ばかりではない。
景色を楽しんでいると浮浪者にタバコを物乞いされたことがある。
得をしている人がいれば損をしている人がいる。
誰かが楽をしている間、誰かが苦労している。
経済的に豊かな人がいれば貧しい人もいる。
美しいものがあれば汚いものもある。
戦争で苦しんでいる国があれば平和な国がある。
すべてを平等にすることは非常に難しい。
詐取しようとするものが在る限り、そして、生きとし生けるものが全て同じ意識レベルにならない限り全てを平等になんて言葉は、ただのきれいごとだ。
汚いもの、見たくないものを見たくなければ、見なければいい。
しかし、人は「光」があるところには必ず「闇」があるということは知っておかなければならない。
それを知っているのと知らないとでは物事の見方が大きく異なってくる。
何より物事に対して盲目的にならず、視野が広がる。
もちろん、盲目的に何かに対して突き進まなくてはならない場合もあるだろう。
しかし、どのようなことにも盲目的に一点だけを見ていたら、物事の裏側を知ることができない。
逆に裏側があることを知っていれば、自分を守るための手段、誰かに手を差し伸べる手段、問題を解決することを考察する時、もっと広い視野を持って考えることができると思う。
波打ち際で楽しんでいる人がいる反面、桟橋の近くのビーチ付近ではあの手この手を使って物乞いする人がいた光景が同時に自分の視野に入ったとき、このようなことをしばらくの間考えていた。
もしあなたが誰かに物乞いをされたとき、かわいそうと思ってすぐお金をあげますか?
それとも、「この人はどのような理由で物乞いをしているのだろう、どのくらい困っているのだろう。」と一歩踏みとどまって考えますか?
それとも、そんな困ってないでしょって割り切って無視しますか?
答えは三者三様。
考えは無数に在る。
by lords_of_canyons
| 2008-11-28 20:27
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